2020年9月。
今回の取材は学校法人大和学園理事・京都調理師専門学校の仲田校長。「その時、学園史が動いた!」をテーマにお話を伺いましたところ、「柴田料理研鑽会ですね!」と一言。1988年に京調校「四条キャンパス」が誕生したその時。京都の超有名店のご主人が、京調校を会場に料理の「すべて」を披露する機会が到来。
Q:当時の柴田日本料理の講習会「日本料理フォーラム」について、その内容を教えてください。
30年前から行われている歴史の深い講習会で、2代目日本料理フォーラム(以下、フォーラム。一般客を迎えて研鑽会メンバーが調理実演を行なう講習会)が歴史の変わり目です。その講習会の会場が京都調理師専門学校であったこと。そして、京都の名だたる料亭と本校の結びつきがそこから一気に強くなっていったんです。
Q:2代目の研鑽会のメンバーどのような方々ですか?
「瓢亭」の髙橋英一さん、「美山荘」の中東吉次さん、「天㐂」の石川輝雄さん、「ひろや」の廣谷和仁さん、「中村楼」の辻 雅光さん、そして今3代目を率いる「菊乃井」の村田吉弘さん。
京調校が京都の数々の料亭さんとつながり、今もよい関係を築けているのもフォーラムがきっかけです。
Q:仲田校長はどのようなご活躍を?
私は当時35歳くらいで、毎回メンバー皆さんの調理助手を務めました。名だたる料亭の主人が、技術を惜しみなく披露するとあって、135席が毎回満席、全国からお客さんが集まって、本当に大盛況やった。当時は、とくに日本料理はまだ保守的で、その店独自の技術を公開するのがめずらしかった時代。だから京料理の名店が技術を包み隠さず全部見せるということが、まず画期的やったこと。そして料理講習といえば、講師1名が当たり前の時代に、このフォーラムは講師が6名、メニューごとに講師が入れ代わる新しい講習のスタイル。その助手を仲田校長が一手に引き受けることに。
「時代になかった講習会を、一専門学校がやりきった。」
Q:その時、京調校が大きく変わったんですね。
「そうです」
Q:講習会の手配、準備、運営と仲田校長が中心となって?
それぞれのご主人とうまくコミュニケーションをとったことで先進的な取り組みが高い評価につながりました。当時ここまでやれた学校はないとおもいます。
Q:ほかにも学園史を振り返って、いかがですか?
いろいろあり過ぎて…。田中誠二理事長が理事になられた日本料理アカデミーの誕生も。私は田中誠二理事長と一緒になって、料理人の地位を、そして大和学園の名誉向上に走り続けてきたと思っています。
2013年に「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録、2017年に食が文化に。これから料理人が力強く羽ばたいていける土台を築いてきたと思っています。
Q:さて、学園はまもなく90周年を迎えます。学園職員生活(1974年入職)46年間の感想をお聞かせください。
学園では働き方改革も導入されて、一人でがむしゃらに何でもやる時代は終わったかなと。
これまで述べてきたように、大和学園は時代の波に乗ってきた学園です。
全員が同じ船にのって、学園の発展にむけて一路邁進してきました。
その力は衰えることなく、この先には見えない荒波もあるでしょうけど、これまでと同じようにうまく波に乗っていけるはず。
なぜなら、その時代を読み取れる教職員がたくさんいる。みんなで知恵が出し合える。そして、学園には歴史があり、伝統があるから。
Q::感動しました。仲田校長はすごいですね。
私は新しいことが大好きなんです
仲田雅博(なかた・まさひろ)
1952年京都府生まれ。高校卒業後、大和学園京都調理師専門学校へ入学し、日本料理の道を志す。「岡庄」(京都・西大路)に2年間務めた後、同校の調理助手となり、’76年には「HAIHAI RESTAURANT」(米国)へ出向、料理長として働く。’81年に帰国して再び教務を執り、現在、京都調理師専門学校長。2009年厚生労働大臣表彰 現代の名工「卓越技能者」受賞、2016年黄綬褒章受章。